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秋の鉄剣ガイドツアー(村井記) [解説ボランティア]

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秋分の日9月23日は、秋晴れのすがすがしい1日でした。お彼岸の中日でもある祝日なので、多くの出足が予想されました。
体験工房は予想どおり、多くの勾玉作りのお客さまで終日にぎわいました。

なかには、オーストラリアから昨日到着したばかりの交換留学生の一人も、ステイ先の家族とともに勾玉つくりに挑戦し、電子辞書を片手に英会話に悪戦苦闘しながらも、楽しい時間を過ごしているようでした。

また、さいたま市シルバー大学の史跡めぐりクラブの会員60名中19名が来館し、希望により解説付きで館内を見学しました。みなさん展示物に感動するとともに、親切で丁寧な解説であったと感謝してお帰りになりました。

さらに「鉄剣ガイドツアー」のイベントは午後1時に受付け、20名でスタートしました。約40分の国宝展示室の解説の後、埼玉公園内をガイドしました。途中参加の3名を加えて、みなさんと公園内を散策しました。瓦塚古墳の頂上には、季節の彼岸花が咲き、外堀には、コスモスが咲いていて、確かな秋を感じたひとときでした。

最終目的地である稲荷山古墳の頂上で、「金錯銘鉄剣」等の出土した礫槨や、すぐ脇の粘土槨の説明に1500年前の古代の生活を想像しつつ、すすきの咲いた頂上から行田市の展望を楽しみ、三々五々の解散となりました。
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鉄剣ガイドツアー同行記(村井記) [解説ボランティア]

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9月15日は、敬老の日で、朝から博物館はにぎわった。夏の暑かった陽気もようやく峠を越した感があって、曇り空でツアー向きであった。

館内の体験工房は、勾玉作りで、いつもより机を二つ足しても、いっぱいの親子連れ等で賑わっていた。来館者および体験工房でいろいろな体験を希望されるお客様は、このところ大変多く、ボランティアの活動なくしては、成り立たない状況となっている。

今日は、特別のイベントで「鉄剣ガイドツアー」ということで、午後1時30分からの開始にあわせて受付がはじまった。予約は4組6名で、一般受付に期待が寄せられた反面、来館者数に比較して、希望者は少なく、やむなく「鉄剣ガイドツアー」ののぼり旗を持って、お客様の呼び込みに入った。その成果もあってか出発の時間には12名の参加があった。

ガイドは博物館の学芸員が担当し、ボランティア数名が支援に回った。まず、館内を解説付きで閲覧した。ホワイエでさきたま古墳公園の概要と成り立ち、およびここの古墳の解説があり、1500年前の北武蔵の豪族の生活等がしのばれた。

古墳群の解説の後、展示室に移り、本物の金錯銘鉄剣の見事な出来栄えを見学し、また銘文の内容を聞き、当時の国の姿を想像して、日本の古代を今のごとくに認識して、一同驚きと感嘆を表していた。

外は曇りがちでそれほどの暑さもなく、館を出て外を回った。まず右手に見える瓦塚古墳を眺め、前方後円墳の姿を横から眺めて、その名の由来であると考えられる大八車と比較して眺めた。つづいて、愛宕山古墳を通過し、丸墓山古墳の方へ向かった。

丸墓山を左に見て、右折し、今日の目標である稲荷山古墳に向かって、公園内をゆっくりと進んだ。古墳の前では、参加者数も途中参加を加えて21名に膨らみ、古墳の歴史、いろいろな経緯と現在の修復完了後の姿を目の当たりにして、古代の偉大な事業を実感した。

急な階段を上り、頂上へ向かった。本来、天気が良ければ、頂上から南に富士山が見え、東に筑波山を望み、北にアルプの山々を見渡せる眺望が楽しめたのだが、あいにくの曇り空で、残念ながら近場以外は見渡せなかった。

頂上では、礫槨のレプリカ、粘土槨をそれぞれ見て、発掘当時のいきさつを交えた最後の解説があり、古墳の様々な有様を体感した。

質問や疑問の応答の後、アンケートに記入していただいて、現地解散となった。
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「これが本物の「鉄剣です。複製品ではありません!」 (増田記) [解説ボランティア]

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ボランティア活動が始まって早くも1年が経過する事になりますが、「展示解説」についてはまだスタートしたばかりだと言えると思います。

私がこのボランティアに応募したのは考古学・歴史に興味があって好きだからでもなく、人前で話しをする事が好きだからでもありません。この「さきたま古墳群」が私が生まれ育った郷土・行田にあり、少しでもこの素晴らしい「歴史的遺産・さきたま古墳群」に関わりを持ってゆければ良いなと思ったからです。そこで私は「体験学習の支援」と「解説」の二つのボランティアを希望しましたが、はたして私に「解説」ボランティアが勤まるのかと不安を抱いての応募でした。

昨年の2月より事前研修が始まり登録証の交付を受け「体験学習の支援」の活動は始まったものの、「展示解説」については中々始まりませんでした。先ず、博物館より頂いた「ガイドブック・さきたま」を話す内容に要約して頭に入れる様に努力をしましたが、人前で話す自信は持てませんでした。

次には、博物館でまとめて頂いた「マニュアル」を自分なりに要約し直してやっと人前で話す事が出来るかなと思える様になりました。その間に学芸員の方達の解説をお客様に混じって聞かせて頂き、勉強を重ね 

    「これが本物の鉄剣です。複製品ではありません!・・・・・・・」と

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やっと数人のグループに対しての「展示解説」の実践が始まったのです。

その後もスキルアップ研修を受けたり解説の傍聴を繰り返したりし、次にもらった仲間の人がまとめ直してくれた「マニュアル」も、又、自分用に作り直したりして勉強を重ねました。そして、ようやく小学生や一般の団体に対しての「展示解説」の実践の機会を何回か積み重ねる事が出来、少しずつ自信が持てる様になったと思います。

そこで、1年が経過し「体験学習の支援」の活動の経験はある程度積み重ねられたものの、「展示解説」の実践の機会はまだ少なく、まだまだ自信を持っての上手な「解説」は出来ませんが、これからも地道に勉強を続け、少しでもお客様に喜ばれる様に「展示解説」を、そしてまだ経験していない「古墳公園の案内」も実践してゆきたいと思います。
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笹井小学校の博物館見学(村井記) [解説ボランティア]


16日(水) 今日は気温が低い割に、無風快晴ですがすがしい一日であった。
朝早くから、埼玉県狭山市立笹井小学校の5年生62人が、博物館見学に訪れた。
今年は、5日の「まが玉つくり」や12日の「火おこしに挑戦」及び「古代米を炊いてみよう」のイベントが予想を上回る来場者が続いた。その流れを受けた、今年初めての館内見学解説とあって、ボランティア6名が手ぐすねを引いて待っていた。

児童たちは、ビデオルーム、体験工房とホワイエと3班に分かれてそれぞれ約15分の博物館概要の解説を聞いた後、国宝展示室及び企画展示室を見学した。学校ではまだ、日本の歴史について習っていないが、6年生に進級した5月に正式に歴史の勉強をする予定とのことで、その時に今日の見学の成果を思い出して、役立てて欲しいと思い説明をした。
学校の近くに、笹井古墳群や稲荷山公園の中に古墳があったり、また上広瀬にも古墳があるので、興味を持ってもらうように説明をした。

児童たちは、さきたま古墳群に大いに興味をもった。古代人たちの生活ぶりや、100メートルを超える巨大古墳のことや、稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)の実物をつぶさに見て、それぞれいろいろな思いをもち、貴重な一時を過ごしたようだ。

解説後の質問でも、象嵌彫(ぞうがんぼり)の技術を当時の人たちがどうして持っていたのかとか、銅や鉄がどのようにして作られたかとか円筒埴輪(えんとうはにわ)はどのような役目を持っていたかとか、熱心に聞いてきた。


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仲間と一緒に古墳見学とまが玉つくり(新井喜記) [解説ボランティア]


11月29日(木)曇り
この冬一番の冷え込みの中、以前の会社の仲間たち4名が「さきたま古墳群」見学に訪れ、「史跡の博物館」では「まが玉つくり」を体験した。
私たちのグループは、会社の変革期を一緒に乗り越えた仲間たちで、毎年一回恒例の集まりを今年は埼玉で行うことになり、私がボランティアをしている「さきたま古墳群」の見学を計画した。

当日は甲府から1名参加できなかったが、首都圏各地から4名が集まり、私を含めて5名でJR行田駅から市内循環バスで「さきたま古墳群」へ向かった。
博物館に着くと、早速、担当ボランティアに解説をお願いし、丁寧(ていねい)に博物館の概要の説明を受けて国宝展示室に移動。展示室では稲荷山古墳から出土した金錯銘(きんさくめい)鉄剣や帯金具(おびかなぐ)・鏡・勾玉(まがたま)、さらには、将軍山古墳から出土した馬冑(ばちゅう)・旗(はた)さし金具等をゆっくりと見学した。

その後、丸墓山古墳・稲荷山古墳・将軍山古墳の順で見学した。丸墓山古墳では、石田三成も上ったといわれる頂上から見渡す忍城(おしじょう)や広大な関東平野の眺めにびっくり。ここは、冬の山々を眺めるには最適のスポット、今日は曇りで富士山や浅間山・赤城山・日光連山が見られないのが残念だった。

次は稲荷山古墳へ。ここが「さきたま」では最も古い古墳で、金錯銘鉄剣の出土した場所、礫廓(れきかく)や粘土廓(ねんどかく)を見学し、最後に将軍山古墳へ移動。横穴式石室の房州石(ぼうしゅういし)は舟で運んできたものだろうと話したところ感心した様子だった。
おなかのすいたところで昼食は古墳亭の名物のうどんを食べ、食事後は再び史跡の博物館へ戻り「まが玉つくり」に挑戦。最初は戸惑っていたが、ボランティアの適切な指導により、眠っていた体も徐々に目を覚まし、一生懸命に取り組んだ成果にみんな満足したようで、作り上げた後は笑顔でいっぱいだった。
その「まが玉」を胸に、最後に全員で記念撮影をして博物館を後にした。

帰りは、JR吹上駅までバスで移動し、近くの居酒屋で打ち上げを行い、次回は茨城で「あんこう鍋」を囲む約束をし、改札口を抜けるまで見送った。かれらの胸には今作った「まが玉」がかけられており、満足そうな顔を見て、来てもらって良かったと思った。

最後に、「さきたま古墳群」の感想を聞いたところ、後日メールが届きました。
・最初にまず9基の大型古墳群のスケールの大きさに、古代への想像が膨らむ。
「さきたま史跡の博物館」では、今もくっきり文字が読める国宝「金錯銘鉄剣」の金文字の輝きに息を呑(の)む思いだった。
数々の発掘された埴輪(はにわ)、鏡、旗さし金具など多くの展示物に、埼玉県にこのような規模の大きい史跡のあることを始めて知る。
「まが玉つくり」は少し緊張しながらチャレンジをした。角材の材料石に、あのまろやかな「まが玉」が彫り起こせるのか?しかし指導員の適切なアドバイスによって、短時間でみるみる「まが玉」が姿を現し、磨きをかけていくと美しい黒に白の模様が入る私だけの「まが玉」が出来上がる。
とても気に入る満足の出来栄えになった。
・想像以上の古墳群をみたり、大昔の先祖の様子を分かりやすく丁寧に説明をしていただいりして、古代の様子を想像することができた。
楽しい「まが玉つくり」に、また家族と寄りたいと思う。

史跡の博物館では、新しいボランティアを募集しております。私たちと一緒に活動しませんか。










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ボランティアスキルアップ研修3回目報告(峯記) [解説ボランティア]


11月19日(月)は、木枯らしが吹く、肌寒い日でした。
この日もお天気で(研修会は3回とも快晴でした)、地元行田市の国指定史跡「小見真観寺(おみしんかんじ)古墳」の他、熊谷市2ヶ所、深谷市1ヶ所の古墳群、「江南(こうなん)文化財センター」の見学と、今回も盛りだくさんの研修内容でした。

9時30分に博物館に集合し、車2台に分乗し、他M氏のバイク1台、計3台でスタート!

途中、後続の私達の車をまるっきり無視して、突っ走って行く学芸員さんの車に少々不安を感じつつも、無事「小見真観寺」に到着しました。ここでA氏と合流。
 
この古墳は、後円部に2つの石室がある珍しい古墳で、早速、「小見真観寺」の北側にある「小見真観寺古墳」の横穴式石室を見学。若小玉(わかこだま)古墳群の「八幡山(はちまんやま)古墳」に比べると羨道(せんどう)もかなり短く、小さい石室でしたが、それでも巨大な緑泥片岩(りょくでいへんがん)が使われていて、当時の人達の技術に感心。

横穴式石室の入口

後ろに回って、もう一つの石室を確認しました。さらに上に登って墳丘の高さや大きさを確認。
「小見真観寺古墳」は、県内では4番目の大きさの前方後円墳だそうで、時期は6世紀末~7世紀初頭、出土品は東京国立博物館が所蔵しているそうです。
道を隔てた、隣の小さな「虚空蔵山(こくうぞうやま)古墳」も見学しました。

一同、今度は、熊谷の運動公園に移動しました。
ここで、さらにO氏とN氏が合流。運動公園の駐車場に車を置いて、徒歩で国指定史跡「宮塚(みやづか)古墳」に向いました。

「宮塚古墳」は、畑の中にぽつんとあり、木々が茂っていて、言われなければ気が付かない古墳でした。全国的にも珍しい上円下方墳で、時期は7世紀末から8世紀初め頃と言われ、熊谷市では、唯一の国指定文化財だそうです。

次に、白鳥飛来地が近くにある鹿島(かしま)古墳群(7世紀~8世紀初頭)に移動。
ここは、荒川沿いの河岸段丘(かがんだんきゅう)に、小さな墳丘がいくつもある(56基、現存してるそうです)穏やかな雰囲気の古墳群でした。

鹿島古墳群

奈良時代の話ですが、聖武(しょうむ)天皇の勅願により武蔵国にも国分寺が建てられました。しかし、その後、五重塔を焼失してしまいました。その五重塔を再建したのが、この古墳を造った末裔(まつえい)だと考えられるそうです。

せっかくですので、白鳥も見に行きました。折りよく20羽くらい飛来していました。ただ、白鳥よりもおびただしい鴨の軍団がすぐ近くに気持ちよさそうに日向ぼっこをしてて、鴨=鴨鍋と連想したのは私だけではなかったみたい。

12時30分に農林公園に移動し、そこの食堂で、お昼をいただきました。

1時20分に塩(しお)古墳群に移動。
その途中、学芸員さんが、又も爆走!!先の心配が的中。
後続の車が気になりつつも、こっちも見失いそうなので、やむなく追っかけました。八幡神社の駐車場に到着したのは、学芸員さんの車とバイクのM氏、私達を同乗させてくれたM氏の車3台だけ・・・。

後続の3台はしばし待てども姿が見えず・・・。
すると、バイクのM氏が突如Uターンし、待つこと10分、後続の3台を無事誘導してくれ、一同ホッとしました。

なんでも見失ってから、途中の駐車場で、待機(たいき)してたそうです。
M氏は黒の革ジャンにヘルメット姿で、参加者の1人が「仮面ライダーみたいだ。」と言ってましたが、この時は私もM氏が仮面ライダーのように頼もしく、かっこ良く見えました。

ようやく 、そこから徒歩で、塩古墳群に移動。
雑木林を抜けると、こんもりした前方後方墳が見え、まるで時が止まったかのような静けさで、塩という名前も不思議で、こんな所にたくさんの古墳があるのが、又不思議に思えました。古墳時代前期(4世紀中葉~後半)の古墳だそうです。

塩古墳群

2時30分頃江南文化財センターに着き、施設を見学しました。
縄文時代や弥生時代の遺物や埴輪、野原(のはら)古墳群で発見された「踊る埴輪」のレプリカ、銀象嵌(ぎんぞうがん)模様がある大刀などが展示されていました。
江南文化財センター展示室

最後は、場所を借りてボランティア連絡会議をさせていただき、活発な意見が交換されました。そうして、4時30分頃無事、博物館に帰ってきました。

ハプニングもありましたが、実際に古墳を見て回ることで、埼玉古墳群に対する理解が深まりました。これらは、今後のボランティア活動に活かしたいと思います。


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博物館学現地研修(村井記) [解説ボランティア]


10月31日(水)晴れ
今日は、10月最終日で、体験工房で朝の早い内は暇を持て余し気味でいた。しかし、しばらくすると小学校の団体が数組来場し、にぎやかになってきた。
成人の来場者もまばらではあったが数組来場しており、老人クラブの団体もあって、結構解説の機会にも恵まれ有意義な1日になった。

今日のメインは何と言っても、日本大学の博物館学コースの学生に行った展示解説でした。
学生たちは、予定の3時を20分遅れてやってきた。研修は、単位修得の必須科目だという。

まず、講堂で学芸員が約40分の講義を行った。
1 「さきたま」の由来や「さきたま古墳群」について紹介された。
 私は、特に、「埼玉古墳群」は低地に囲まれた台地上に造設されたが、その後の地盤沈下により現在のようになったという説明に、新たな知識を得た。
2 また、稲荷山古墳は周りの土砂の盛り土で積み上げられたと考えられていたが、3Dレーザースキャナーの技術で体積を計算したところ、それでは足りずに他から補充されたと考えられるとか、
3 現在発掘調査中の奥の山古墳の調査でいろいろの新事実が発見されているなどと、
最新情報も紹介された。

国宝展示室と瓦塚古墳の案内は、私たちボランティア2人で対応した。

学生たちの興味は、初めて訪れる博物館の展示品に興味はあるものの、さきたま史跡の博物館の展示システムや史跡の整備などにあるようだった。
そこで、金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)の二重の劣化防止装置やホワイエの展示、体験工房や企画展示室の構成等について解説した。

続いて、屋外展示である「さきたま古墳群」の「瓦塚古墳」をガイド解説した。
「瓦塚古墳」は、博物館から近いにもかかわらず、あまり訪れる観覧者が少ないが、堀や中堤が整備されていて、見学には最適な状況だと思っている。
まず、西側に立てられている看板の前で古墳の解説をし、円筒埴輪や形象埴輪の配置や出土状況を説明した。前方部の南側に回り、古墳の大きさを実感し、東側から二子山古墳の姿を見てもらった。
そこで振り返って、更に南側の鉄砲山古墳を眺め、古墳群の密集具合をつぶさに観察してもらった。
時間の関係で古墳群ツアーはここまで。
館に戻りガイドを終了した。

瓦塚古墳の説明

学生たちは、短い時間に<さきたま史跡の博物館>の活動や古墳公園の現状を通して、歴史や遺跡について考え、貴重な時間を共有したようだ。


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仲間を誘って博物館へ(新井喜記) [解説ボランティア]


9月26日(水) 好天に恵まれ、松下テクニカルサービスOB会恒例の健康ウォーキングで17名が博物館を訪れた。

私は、この会社のOB。現在、博物館ボランティアをしているこの縁を大事にし、仲間を博物館へ誘ってみようと「健康ウォーキング」を計画した。仲間の賛同を得て、9月26日決行となった。

当日は、遠距離からの参加者が多く、JR吹上(ふきあげ)駅に10時30分集合し、バスで忍(おし)城まで向かい、行田市郷土博物館を見学した後、さきたま古墳公園まで徒歩で移動した。
歩き始めて40分、目の前に、さきたま古墳群「めざせ世界遺産」の看板。予定通り目的地へ到着した。

古墳亭で昼食を済ませると、早速散策を開始した。最初は、愛宕(あたご)山古墳から石田堤(いしだつつみ)を通り丸墓山古墳へ。

丸墓山古墳を登る

丸墓山古墳の98段の階段を息を切らせることなく登り、頂上からは今きた忍城を見渡すことができた。.石田三成もこの山に陣(じん)をとり、どういう心境で水攻(せ)めをしたのかと思いをめぐらした。今日は富士山、日光連山、赤城山、浅間山などの四方の山々が雲が多くて見られないのが残念だった。

そして、さきたま古墳群の中で一番古い稲荷山古墳へ。ここで、国宝「金錯銘(きんさくめい)鉄剣」は出土した。歴史的にも意義のある場所のため、礫廓(れきかく)・粘土廓(ねんどかく)を興味深く見て回った。

礫廓を興味深く見る

その後、将軍山古墳展示館を見学し、二子山・瓦塚古墳を見ながら、さきたま史跡の博物館へ。少々急いだが何とか予定時間に到着。

博物館では、学芸員の詳しく丁寧な解説を熱心に聞き入り、学芸員の話にも熱が入っているように感じた。
国宝展示室では、「金錯銘鉄剣」その他の国宝をゆっくりと見て回り、当時の優れた技術に感心しきり。
最後に、鉄砲山・中の山古墳を通り、奥の山古墳の発掘現場を見ながらバス停へと向かった。

帰りは、疲れが目立ったようだが、仲間は「さきたま古墳群はすばらしい」「個人でもう一度きたい」
「仲間を誘ってきたい」「前からきたいと思っていたが、きてよかった」等、感想を述べてくれた。

仲間を誘って、案内し、無事佐間団地バス停に着いて分かれる時、仲間の満足な顔をみて、誘ってよかったと思った。

今、県や市を中心に「世界遺産登録」へ向けての機運が高まっているが、私たちも、このすばらしい歴史的遺産を後世に残していくため、今できることを、しっかりと伝えたいと思う。

ぜひ、ご家族、お友達とお誘い合わせの上お越しください。
「私の故郷へきませんか」!!






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学芸員による国宝展示室の解説を聞いて(村井記) [解説ボランティア]


9月に入り、天候が不順。本日12日も朝から大変な雨。で、博物館に来るのも大変であった。
やや雨も小ぶりになった午前10時半に、所沢市の「さんさん会」の方々が入館した。

早速、さきたま史跡の博物館の解説が学芸員によって行われたので、ボランティア4名も、久しぶりの解説に日頃の研修の成果を問うごとく、その解説を熱心に聞き入った。

ホワイエでは、さきたま史跡の博物館の説明やさきたま古墳公園の解説、稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣(きんさくめいてつけん)の発見のいきさつなど、ユーモアを交えた解説に「さんさん会」一行は、感嘆をしきりとしていた。

約10分の解説の後、国宝展示室に移動。
金錯銘鉄剣などの国宝を中心にした丁寧な解説に、「さんさん会」ばかりでなく、ボランティアも感動した。
ボランティアは、展示室の解説に磨きをかけるべく日夜研修を重ねてきている。今後も努力を重ねて一本立ちできる日を目指さなければと覚悟を決めた。 

最後に、観覧後の感想を聞いた。「たびたび館を訪れて、国宝その他を見てきたが、解説してもらうことでさきたま古墳群の素晴らしさを再確認させてもらった」とか、「今回初めて来館して金錯銘鉄剣を見た。その素晴らしさに見入り、金文字の記述の内容の素晴らしさと鉄剣の製作技術の素晴らしさと更にさきたま古墳群の不思議さに圧倒された。悪天候の中、来てよかった」と多くの人が語ってくれた。


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展示解説(村井記) [解説ボランティア]


7月18日は、夏休み前の閑散期ではあるが、1時半頃に解説予約のあった板橋の「グリーンカレッジ」の約200名が来場した。

やや予定時間には遅れたものの、2班に分かれ、8組のご老人達が「行田観光ボランティア」に引率されて、25名位のグループ毎に三々五々来場した。

特に、8組が重ならないように古墳めぐりを先に済ませた組みや展示見学の後に丸墓山古墳や稲荷山・将軍山古墳を巡る組みに分かれて回っているようであった。

「古代蓮の里」や八幡山古墳を経由し、博物館内と古墳めぐりをするやや強行なスケジュールであったが、展示解説には興味しんしんで、特に金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)には感嘆しきりであった。

時間はゆったりとあったと思うが、組と組みが重ならないように、古墳解説は15分程度とし、前室、写真前、国宝展示室、企画展示室、ビデオ室等を回転するように配慮した。
民家も見学コースに入っていたので、案内をした。

解説内容は、13日に配布された「解説要旨」が大いに役に立ち、質問にも応じられ、来場者の評価を得たと思う。

午前中の「まが玉つくり」では、定年直後のご夫婦が「ゆとりができて、古墳にも関心が湧いたので出かけてきた。「まが玉つくり」に挑戦し、石を削って思い通りの「まが玉」が作られて良かったと」感動して帰られた。


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