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仲間と一緒に古墳見学とまが玉つくり(新井喜記) [解説ボランティア]


11月29日(木)曇り
この冬一番の冷え込みの中、以前の会社の仲間たち4名が「さきたま古墳群」見学に訪れ、「史跡の博物館」では「まが玉つくり」を体験した。
私たちのグループは、会社の変革期を一緒に乗り越えた仲間たちで、毎年一回恒例の集まりを今年は埼玉で行うことになり、私がボランティアをしている「さきたま古墳群」の見学を計画した。

当日は甲府から1名参加できなかったが、首都圏各地から4名が集まり、私を含めて5名でJR行田駅から市内循環バスで「さきたま古墳群」へ向かった。
博物館に着くと、早速、担当ボランティアに解説をお願いし、丁寧(ていねい)に博物館の概要の説明を受けて国宝展示室に移動。展示室では稲荷山古墳から出土した金錯銘(きんさくめい)鉄剣や帯金具(おびかなぐ)・鏡・勾玉(まがたま)、さらには、将軍山古墳から出土した馬冑(ばちゅう)・旗(はた)さし金具等をゆっくりと見学した。

その後、丸墓山古墳・稲荷山古墳・将軍山古墳の順で見学した。丸墓山古墳では、石田三成も上ったといわれる頂上から見渡す忍城(おしじょう)や広大な関東平野の眺めにびっくり。ここは、冬の山々を眺めるには最適のスポット、今日は曇りで富士山や浅間山・赤城山・日光連山が見られないのが残念だった。

次は稲荷山古墳へ。ここが「さきたま」では最も古い古墳で、金錯銘鉄剣の出土した場所、礫廓(れきかく)や粘土廓(ねんどかく)を見学し、最後に将軍山古墳へ移動。横穴式石室の房州石(ぼうしゅういし)は舟で運んできたものだろうと話したところ感心した様子だった。
おなかのすいたところで昼食は古墳亭の名物のうどんを食べ、食事後は再び史跡の博物館へ戻り「まが玉つくり」に挑戦。最初は戸惑っていたが、ボランティアの適切な指導により、眠っていた体も徐々に目を覚まし、一生懸命に取り組んだ成果にみんな満足したようで、作り上げた後は笑顔でいっぱいだった。
その「まが玉」を胸に、最後に全員で記念撮影をして博物館を後にした。

帰りは、JR吹上駅までバスで移動し、近くの居酒屋で打ち上げを行い、次回は茨城で「あんこう鍋」を囲む約束をし、改札口を抜けるまで見送った。かれらの胸には今作った「まが玉」がかけられており、満足そうな顔を見て、来てもらって良かったと思った。

最後に、「さきたま古墳群」の感想を聞いたところ、後日メールが届きました。
・最初にまず9基の大型古墳群のスケールの大きさに、古代への想像が膨らむ。
「さきたま史跡の博物館」では、今もくっきり文字が読める国宝「金錯銘鉄剣」の金文字の輝きに息を呑(の)む思いだった。
数々の発掘された埴輪(はにわ)、鏡、旗さし金具など多くの展示物に、埼玉県にこのような規模の大きい史跡のあることを始めて知る。
「まが玉つくり」は少し緊張しながらチャレンジをした。角材の材料石に、あのまろやかな「まが玉」が彫り起こせるのか?しかし指導員の適切なアドバイスによって、短時間でみるみる「まが玉」が姿を現し、磨きをかけていくと美しい黒に白の模様が入る私だけの「まが玉」が出来上がる。
とても気に入る満足の出来栄えになった。
・想像以上の古墳群をみたり、大昔の先祖の様子を分かりやすく丁寧に説明をしていただいりして、古代の様子を想像することができた。
楽しい「まが玉つくり」に、また家族と寄りたいと思う。

史跡の博物館では、新しいボランティアを募集しております。私たちと一緒に活動しませんか。










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