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ボランティアスキルアップ研修3回目報告(峯記) [解説ボランティア]


11月19日(月)は、木枯らしが吹く、肌寒い日でした。
この日もお天気で(研修会は3回とも快晴でした)、地元行田市の国指定史跡「小見真観寺(おみしんかんじ)古墳」の他、熊谷市2ヶ所、深谷市1ヶ所の古墳群、「江南(こうなん)文化財センター」の見学と、今回も盛りだくさんの研修内容でした。

9時30分に博物館に集合し、車2台に分乗し、他M氏のバイク1台、計3台でスタート!

途中、後続の私達の車をまるっきり無視して、突っ走って行く学芸員さんの車に少々不安を感じつつも、無事「小見真観寺」に到着しました。ここでA氏と合流。
 
この古墳は、後円部に2つの石室がある珍しい古墳で、早速、「小見真観寺」の北側にある「小見真観寺古墳」の横穴式石室を見学。若小玉(わかこだま)古墳群の「八幡山(はちまんやま)古墳」に比べると羨道(せんどう)もかなり短く、小さい石室でしたが、それでも巨大な緑泥片岩(りょくでいへんがん)が使われていて、当時の人達の技術に感心。

横穴式石室の入口

後ろに回って、もう一つの石室を確認しました。さらに上に登って墳丘の高さや大きさを確認。
「小見真観寺古墳」は、県内では4番目の大きさの前方後円墳だそうで、時期は6世紀末~7世紀初頭、出土品は東京国立博物館が所蔵しているそうです。
道を隔てた、隣の小さな「虚空蔵山(こくうぞうやま)古墳」も見学しました。

一同、今度は、熊谷の運動公園に移動しました。
ここで、さらにO氏とN氏が合流。運動公園の駐車場に車を置いて、徒歩で国指定史跡「宮塚(みやづか)古墳」に向いました。

「宮塚古墳」は、畑の中にぽつんとあり、木々が茂っていて、言われなければ気が付かない古墳でした。全国的にも珍しい上円下方墳で、時期は7世紀末から8世紀初め頃と言われ、熊谷市では、唯一の国指定文化財だそうです。

次に、白鳥飛来地が近くにある鹿島(かしま)古墳群(7世紀~8世紀初頭)に移動。
ここは、荒川沿いの河岸段丘(かがんだんきゅう)に、小さな墳丘がいくつもある(56基、現存してるそうです)穏やかな雰囲気の古墳群でした。

鹿島古墳群

奈良時代の話ですが、聖武(しょうむ)天皇の勅願により武蔵国にも国分寺が建てられました。しかし、その後、五重塔を焼失してしまいました。その五重塔を再建したのが、この古墳を造った末裔(まつえい)だと考えられるそうです。

せっかくですので、白鳥も見に行きました。折りよく20羽くらい飛来していました。ただ、白鳥よりもおびただしい鴨の軍団がすぐ近くに気持ちよさそうに日向ぼっこをしてて、鴨=鴨鍋と連想したのは私だけではなかったみたい。

12時30分に農林公園に移動し、そこの食堂で、お昼をいただきました。

1時20分に塩(しお)古墳群に移動。
その途中、学芸員さんが、又も爆走!!先の心配が的中。
後続の車が気になりつつも、こっちも見失いそうなので、やむなく追っかけました。八幡神社の駐車場に到着したのは、学芸員さんの車とバイクのM氏、私達を同乗させてくれたM氏の車3台だけ・・・。

後続の3台はしばし待てども姿が見えず・・・。
すると、バイクのM氏が突如Uターンし、待つこと10分、後続の3台を無事誘導してくれ、一同ホッとしました。

なんでも見失ってから、途中の駐車場で、待機(たいき)してたそうです。
M氏は黒の革ジャンにヘルメット姿で、参加者の1人が「仮面ライダーみたいだ。」と言ってましたが、この時は私もM氏が仮面ライダーのように頼もしく、かっこ良く見えました。

ようやく 、そこから徒歩で、塩古墳群に移動。
雑木林を抜けると、こんもりした前方後方墳が見え、まるで時が止まったかのような静けさで、塩という名前も不思議で、こんな所にたくさんの古墳があるのが、又不思議に思えました。古墳時代前期(4世紀中葉~後半)の古墳だそうです。

塩古墳群

2時30分頃江南文化財センターに着き、施設を見学しました。
縄文時代や弥生時代の遺物や埴輪、野原(のはら)古墳群で発見された「踊る埴輪」のレプリカ、銀象嵌(ぎんぞうがん)模様がある大刀などが展示されていました。
江南文化財センター展示室

最後は、場所を借りてボランティア連絡会議をさせていただき、活発な意見が交換されました。そうして、4時30分頃無事、博物館に帰ってきました。

ハプニングもありましたが、実際に古墳を見て回ることで、埼玉古墳群に対する理解が深まりました。これらは、今後のボランティア活動に活かしたいと思います。


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